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宿場町 草津と共に歩んだ400年の名物 “うばがもち”

2007年05月25日

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                               うばがもち24個入り 866円
    ホテルボストンプラザ草津 フロントにて予約販売有り
うばがもちやのホームページへはここから
草津を代表する名物“うばがもち”は400年前の戦国時代のおとしご
ここに名物“うばがもち”の物語をご紹介します。
うばがもち発祥は、永禄十二年。織田信長が武名、天下にとどろき諸国を制覇、
ここ近江の守護代となったころのこと。近江源氏佐々木義賢も永禄十二年に信長に
滅ぼされ、その一族も各地に散在を余儀なくされました。その中に三歳になる義賢
の孫がおり、義賢は臨終の時も、その幼児を心より託せる人がいなかったので、
乳母である“福井との”を招き、貞宗の守刀を授け幼児を託し息を引き取る。
乳母“福井との”は、郷里草津に身を潜め、幼児を抱いて往来の人に餅をつくっては
売り、養育の資として暮らしました。そのことを周囲の人たちも知り、誰言うことなく
「姥が餅」と呼び出しました。

草津は東海道と中山道の分岐点、さらに京都に向かうのには、瀬田の唐橋まわりで
いくかと時間的に早い矢橋から舟で大津にわたるかの交通の要所で、行き交う旅人
の格好の休み処だったので、
    『瀬田へ廻ろか矢橋へ下ろか此処が思案のうばがもち』
言葉とともに“うばがもち”の名は早くも天下に知られるところになりました。
その他、うばがもちやは、広重、北斎の浮世絵に描かれるだけでなく、芭蕉が食べ、
蕪村が次のように俳句に詠んでいます。

  『東風吹くや春萌え出でし姥が里』 蕪村
当ブログの“草津宿場祭り”にも記載したとおり、テレビドラマ 水戸黄門においても
ご水戸のご老公様ご一行も必ず草津の宿場町にお立ち寄りになりますし、
うっかり八兵衛は必ず“うばがもち”を食べてます。
写真の通り、乳母の乳の形をしてるのが特徴です。
江戸時代は、乳首を表す砂糖が貴重品であっため庶民が茶屋で食べたのは
あんこだけのうばがもちであったと私の祖母は話しておりました。